ザコ記

喋り散らす用

今日もあんまり考えなかった

今日は立川談志ビートたけし太田光の鼎談本を読んだ。
ステーキを食った。
いがらしみきおの「sink」を読んだ。
自分の音楽を雑に説明するブログを書いた。
吉田戦車の「伝染るんです」を読んだ。
エロバナー広告のエロ漫画を読んだ。
中華料理を食いに行った。
酒を慢性的に飲んでいた。
金を一万円以上使った。
だが、「考える」ということはあまりしなかったように思う。

深夜のコインランドリーで気付いた。私は今日もあまり考えてない。
私は「考える」ということが苦手なのかもしれない。
振り返れば「考えること」と「計画を立てること」と「練習すること」は私にとって苦手なことなのかもしれない。
これで幸せになれるか?少なくとも今の環境じゃ無理でしょうな。
私はできるようにならないとダメだ。

今私は考えているのではないか?
考えていると言えば考えている。
だが、考えているという実感がわかない。
なぜなら、それは記録されてないからだろう。
雑然として整理されてないのだ。
負荷もぜんぜん掛かってない。
こういう雑然とした思考は、無意識になにか作用して、今後のことに何か影響を及ぼすかもしれない。つまりあながち無意味ではないかましれない。
だが、しっかりと手で掴むような思考をしないとダメなんじゃないか。

自分のことなのに全然しんけんになれないということはよくある。
自分の人生のことでも考えるのは億劫だ。
たとえば自分の体が自分だけのものじゃないならもっといろいろ真剣に考えるだろう。
つまり、家族を養ってるなどの場合だ。
だが私は独り身だし、今私が死んだら悲しむ人はいても困る人はいないだろう。
いや、お母さんは困るかな。
とにかく、考えるのが苦手である。

どうすればいいのかというと、やはり誰かと一緒に考えるのがいいと思う。
自分一人だとすぐ怠けちゃう。これはもう宿命なのである。
だから、カウンセリングを予約したりする。
誰かに話しながら考えるのだ。
カウンセリングでも、それが便利屋を雇って話を聞いてもらうとか、最悪それでもいいだろうけど、でも便利屋が下手に相談に乗って便利屋にアドバイスされても、私は他人のアドバイスとかあんまり好きじゃないから「うるせぇ」って思うだろうし、やっぱりプロの精神科医とかにお金払うのがいいんじゃないかな。
そりゃ、プロでもロクでもないのはいるだろうけど。プロでも下手なアドバイスされたら「うるせぇ」って思うだろうけど。

なんで私は考えないのだろう。
「考えない」という悪い癖がついてしまったのかもしれない。
よくボーッとしてる。
ボーッとして勝手に湧き出るものを楽しんだりしてる。
四コマのネタとか。
理知的ではないのだな。
これもある種の知性には他ならないのだろうけど。

今も辛いけど将来もっと辛いということを予見してしまいまして、だからうまくなんとか考えないと雑に死にそうでヤバい。
でもなにを考えたらいいのか分からなかったりする。

自分一人じゃ分からないことあるから、誰かと一緒に考えるのが良いのだろう。
孤独は危険である。
でも孤独じゃないとやっていけないって人もいる。
大変だ。
考えて生き残りたい。